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UTAUとDOMINOで作曲したりカバーしたり、たまに落書きしたり妄想したりするblog。
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 カテゴライズに困るようなものを文章に起こしてここに置いておくか迷ったんですけどね。近況報告と称して最近思ったことをねじ込んでおきます。UTAU関係ないです。説明しようとしている、という点では読まれることを想定してますが、読んで誰かが得をするか、という点では読まれることを想定していないかもしれません。
そういう意味では思考隔離系記事かも。誰かの日記としていえばまあ隔離するものでもないですが、UTAUで動画作ってる人のブログ、というのを念頭において見に来られた方にとって別に面白いものではないと思うので。ある意味Twitter以上に、思ったまんまを書いてますし。まとまってもいませんし。


以降、四ヶ月で考えたことがごった返してます。だ、誰も見てないと思ってこの人は……!
(※文章的に本当にその程度の価値だと思います。所詮自分語りの類ですので)



 ここしばらく、頭を巡っている事をまとめようとするといくつかのキーワードに分裂します。情報、主観、客観、楽観、悲観、可能性、蓋然性、日常、非日常、確証。とか言い出すと中二病のように見えなくもないのですが。流石に多すぎるので、まあ三、四の段落で。

・先の震災の時、とにかく事実であれデマであれ色々な情報が飛び交いました。色々な思いも。Twitterを見ていた私は当時、正直言うともう内心パニックが酷くて、でもそれも分かっているから具体的なことなんかうっかり吐けなくてもやもやっとした言葉を置いていくだけでした。そのくせリアルで人と話す時はやたら冷静っぽい話し方をしていた気もします。ネットワークメディアとやらに触れている年数の割に、ひどく振り回されていたのですね。情けない話ですが。

・現状としては今某大学の学生なのですが、偶然にも社会情報なる学問の専攻です。専攻を決めたのは震災前でしたから。まだ情報と人の関係について学び始めたばかりです。
しかし最近思うのは、情報が流れる時には主観の要素を省くことなど不可能なのかな、と。機械で生み出されたデータは一つの客観かもしれませんが、それを伝えるのも受け取るのも人です。「コップに半分の水」を少ないと嘆くのも、多いと喜ぶのも、少ないから注ぎ足そうと試みるのも人です。コップに半分の水という情報を伝えるかどうか決めるのも人ですよね。
更に、受け取るかどうか決めるのもまぎれもなく人間です。Twitterに限らず、全ての情報を公平に見ているつもりで大概無意識に省く事をしています。基準は感情といわれたり信憑性とか論理性とかいわれたりしますが、本当の所何が正しいのかは決めることができません。
○○が危ないかもしれない、○○は安全、などというものも良くも悪くも捉えようがあります。そしてどちらに捉えるのが正解、などと宣言する術はありません。
学びが浅い所為、というのは大いにあると思いますが、情報と人の心の関係は、見つめれば見つめるほど基準を設けるのが困難なものに思えます。掴み所が見えなくなってきます。

・はっきり捉えられないといえば、日常そのものも時にそう感じます。一年前くらいに、ふと考え事を出来る(本当はそんな場合でもなかったのですが、精神的に)時期があり、心に隙間が出来た瞬間、日常が同じように流れていて、それを疑っていなかった自分が怖くなりました。次の日に朝日を浴びて目覚めて学校に行くことを無条件に信じている、と。その後色々思考をめぐらすゆとりが減ってくるとそれを忘れてきて、無条件に進学後の生活や創作の日々を信じきって色々計画していた矢先に、大地震がありました。私は今結果として進学し創作していますが、今こうしていることも明日も同じであることも、またその逆も可能性としては等しくある訳です。どちらかだけが確実なんてことはない。蓋然性の違いはあるかもしれませんが。6/12に出かけた、あの一日がいつもより一層ふわふわしていたのも、どこかで日常や非日常の確かさが分からなくなっていたからでしょうか。

・自分さえ平静に律することのできない筆者は、3月11日を始まりとする震災について、口にできる言葉を未だ持ち合わせていません。自分のかけられて嬉しい言葉が、人にとって好ましい言葉なのか確証がないというのも理由としては一つです(典型的な例が「頑張る」という言葉でしょうか)。ただ一つ言葉にするとしたら、南三陸の漁場が再び賑わうのを心待ちにしているということです。別にこのブログのテンプレートやら普段扱っているものごとやらに引っ掛けて海を持ち出しているわけでもなんでもなく、一人の生粋のマグロ好きとして一番端的に表現できると思ったことです。勿論、それだけではないけれど。それが達成されるまでに踏むあらゆる復興プロセスを内包しての言葉として。


ここに書き残した色々な考え事は、あらゆる意味で現在進行形の事に結びつくものばかりです。なので、その収束がなければ思考の収束も少なくともないでしょう。しかし、このブログについては、次の記事から他の記事と同じ進行に戻ります。
以上、まとめることが不可能な事柄ばかりを書いてしまった記事、でした。
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HN: K.Shigaki(紫垣 奏)
 このブログは、UTAU音源ライブラリである海歌シンの声が好きすぎて筆者が動画とか曲とか作るのに手を出してしまったので生まれました。自重の二文字はもはやストッパーになり得ない。
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